素晴らしき製本

全日本印刷工業組合連合会 会長 臼田 真人様

--まず全日本印刷工業組合連合会(全印工連)についてお話いただけますか

全日本印刷工業組合連合会 会長 臼田 真人様

 印刷会社経営者が会員で約4,700人。印刷業は、製造業分類で全国どの地でも事業所数・出荷額が1~3位です。しかし、製造業の基幹産業である事を理解されていない会員も多く、斜陽産業と思われている方も少なくありません。
 1999年の中小企業近代化促進法の廃案までは、制度融資で低い金利の資金が貸し出され、機械設備を導入すれば仕事が入った時代。2000年に中小企業経営改革支援法が成立し、人口減少・市場縮小に向けて大量生産はモノ余りとなるので、護送船団方式からマイカー方式へ――自分で新たな価値や事業を生む会社を支援する政策へ大きく国の政策が変わりました。しかし、当初の業界売上の低下が緩やかだった事もあり、ほとんどの経営者はこの政策転換を本気で捉えなかった。ようやくまずい!となったのが2010年頃。全印工連の会員も半減し、時代の要請で具体的な業態改革へ向かうこととなりました。
 最初は業態改革と言われても何の事かわからず、その言葉の浸透に時間を要したが、やがて実践となり、全印工連の課題も赤字解消へ。営利を目的としない業界団体は赤字だと事業を縮小しがちですが、これはやればやるほど負のスパイラルに陥ります。会員は団体で得られる恩恵が減り、学ぶものも出会う人も減ってしまう。そこで、元会長の水上さんが大きく舵を切り、「会員減少は自然の流れ、今以上の事業サービスを充実させ組合員の皆さまの役に立とう」となり、全国規模のスケールメリットを活かした事業などを進めた結果、収入増へ。ここ毎年、会員サービス予算を上積み中!全国の方々と会える各委員会開催も、年2回から4回に増やすことが出来ました。

--昨今の業界の変化などについてはいかがでしょう

 今感じるのは「業種の垣根がなくなってきたこと」で、特に地方が顕著です。
 例えば製版業などは、技術革新で工程が不要となり、否応なしに業態変革をやらざるを得なくなったが、元々のお客様が印刷会社なので、印刷機を設備すると競合になる葛藤があった。そこで、プロダクションや代理店、ブランドオーナーなどの直受けに向かい、これが奏功したりしている。組合が業態変革を言い続けても、業界がやれなかったのは、やらざるを得ない環境になかったから、とも言えますね。
 この業態変革は「プリントを中心としたバリューチェーンのどこかを攻める事」でもあるのですが、その場合バリューチェーンが繋がっていないと難しい。特に東京は、プレスや製本や加工のみという会社が多く、他社との差別化が進めにくいです。
 技術的な差別化が優位じゃないと気付かない人も未だに多い。最新鋭の機械を入れても、近隣の工場が同じ機械を導入されたら一緒。設備投資だけで仕事が入る時代は終わった!と強調しておきたい。根拠のない設備投資はリスクの塊でしかない。キチンとROI(投資利益率)を計算し、自社内に設備を持って人材を教育の上仕事を受注してからの利益…を算定した設備投資がどれだけあるでしょう。多くは数値管理してないし、していても部分利用が多いでしょう。数値管理は製造業を営む上で必須であり、経営判断だけでなく従業員の意識改革の指標ともなり得る大切なモノなのです。

--経営されている会社(アドピア)についてお聞かせください

 紙媒体中心のマーケティングサービス会社で、売上の95%以上は紙。ファブレスで機械を持たないから、投資に対するリターン計算ができない設備投資には手を出さない。でも、私が戦略なき設備投資は止めようと言うと、「設備を持っていないのに、そんな事言うな」と言われたりします。
 売上の95%が紙なのは、企画やウェブは手間が掛かり利益が少ない、しかしながら印刷加工が提供するサービスの中で一番収益性が高いからです。コンサルティングしてコンテンツをパッケージ化すれば高値もつくが、日本にコンサルティングの商習慣は根付いていない。「持った手に重みを感じるモノにしかお金を払わない」のが日本人。未だに“リアル”だから印刷物が儲かる。なのに、当社が機械設備をしないのは、何度も繰り返しますがROI(投資利益率)が見合わないからです。多くの印刷会社は長年気づき上げた資産、いわゆる土地・建物があり運用しようと思えば選択の幅は広い。しかしながら我が社は30年前に父と母とで賃貸マンションの一室からのスタートで現在でも賃貸オフィス一角に所在しています。この時代にゼロからここ東京で土地を買い、工場を建て、設備投資しても早々利益は見込めないでしょう。
 要は自社で印刷需要を生み出せるのか、顧客設定できるのか、という事になります。カスタマイゼーション――お客さまの要望を聞いて機械生産するには、それなりの種類と量を作らないと利益を生み出さない。多種を大量に作る業種として印刷業は長けている。現在はデジタルプレスもあり、必要な時に必要なモノを必要な枚数だけ必要な場所で刷る、マスカスタマイゼーションを実現しやすい業種なのです。

--紙と言えば、本はよく読まれますか、思い出の1冊は?

全日本印刷工業組合連合会 会長 臼田 真人様

 読みますが、ほとんどがこれ(iPad)になりましたね。
 私の1冊といえば、パール・バックの「大地」。上巻が創業者、中巻が二代目、下巻が三代目でその家を潰してしまう物語。親に勧められて中学生で読んだがあまりピンとこなかった。何となく家を継ぐのかと思っていた高校生でもう一回読んだ。大抵の会社は三代目で潰すという話ですが、僕は印刷業でいうと三代目で、今の会社(アドピア)で言うと二代目。だから危険なのは子供たち!継ぐかどうかわかりませんけど(笑)。
 とにかく「大地」は衝撃的だった。何も無いところからから一家を作り上げる初代の血のにじむような努力と、その努力を幼き頃から見てきた二代目、そして初代の努力を目の当たりにせず恵まれた環境で育った三代目…本当によくまとまっている。最近は昔の本を読み返す事が多い。例えばモンテスキューの「法の精神」。難しくて眠くなるが、何で秩序はつくられるのか、などと思いながら読んでいます。

--製本業と電子メディアとの関係はいかがでしょう

全日本印刷工業組合連合会 会長 臼田 真人様

 先進的な印刷会社は、電子メディアと紙メディアの両方のサービス提供をすることでお客様を取り逃がさない。印刷物を加工する製本業が、デジタルコンテンツを制作してはいけないという法律はない。紙にインクを乗せるだけでは仕事が増えないので、印刷会社は現在様々な関連サービスへと触手を伸ばしている。今後は製本会社も、専業で経営することはよほどの特殊技術を持ち合わせない限り、ますます厳しい経営となるでしょう。なぜならば業種の垣根はなくなり、顧客ニーズに耳を傾けあらゆるサービスや価値を提供する会社へ仕事は流れていくからです。
 ある意味、印刷業に比べ製本業の方が他社との差別化がし易いのでは。後加工の製本で独自性を出せれば、より良いものができる可能性もあり収益も確保出来る。しかし、多くの印刷会社は製本加工が儲かることに気づいていない節が散見される。印刷会社は印刷機(オフセット)の投資に数億円程度の投資が必要で有り、その求める稼働率たるや相当の数値を求めます。他方で、加工機の稼働率の設定は印刷機に比べ低くても儲かる設定であり、ここに気がつき始めた印刷会社は後加工の設備投資に意欲的になり始めています。ここ数年のDrupaやIGASの会場でHorizonやミューラーのみならず、周辺メーカーに活気が見えるのもその理由の一つだと思います。

--あらためてデジタルの有効活用についてはどうでしょう

 例えばビッグデータをAI処理してマーケティングデータをカスタマイズし、プロモーションに繋ぐマーケティングオートメーション。これらを取り込み内製化出来るのは米国の印刷会社で、国自体が未だに大量生産、大量消費の経済循環があるからこそその構図が描ける。ヨーロッパ諸国では、マーケティングは専門の代理店に任せ、そのデータを受けての生産だけ自社で組む。ヨーロッパ諸国の規模では人的資源も設備投資も限られていて、日本に近い状況であると言えます。
 マーケティングオートメーションを勉強しても損はない。しかし、印刷会社が取り込むには難しい面もある。現在、日本国内でブランドオーナーがマーケティングオートメーションを運用しようとしても、流通チャネルが様々であり小売業者の力が絶大なので、ビッグデータ収集の術が限られています。全印工連は米国ラスベガスで開催されているMarTechカンファレンスに3カ年参加し情報収集に努めたが、結局は、印刷会社としてそのマーケティングオートメーションの仕組みを理解しブランドオーナーとのつなぎ役である広告代理店と、どの様に組み生産プロセスの担い手となれるのかが肝要であると感じた。国内においてはその他の参入障壁として個人情報保護法の関連の規制、トランスプロモの大手企業優遇などの難しい側面もあります。

--全印工連が今春打ち出した「ハッピーインダストリー」について

 「企業経営で一番重要なのは従業員である」という原点回帰です。働き手が減り、いい人材が中小企業に集まりにくくなると、顧客満足を得る事が難しくなり、結果として収益にも影響を及ぼす。収益が悪化すれば働き方改革でいう労働環境も整備できなくなるので、近未来に向けて労働環境を整備し良い人材による好循環を生み出そうというのが「ハッピーインダストリー」の基本的な考えです。
 政府の働き方改革は、アルバイトも準正規雇用も正社員も同一賃金・同一労働ということですが、製造現場を持つ我々には無理がある。5年後には、中小企業も一定時間以上の割増残業が倍以上になる。となると残業をさせられないし、残業するとコストが倍増する。だから、ここで業務改善をしない会社は、確実に収益悪化が見えてくる。全印工連は、それに先駆けて手を打とうとしています。会員の方には、業務改善を行った上で、どういう人材を登用して、どういうルールで運用するか、就業規則を整備し、人材評価制度、給与規定制度を導入―――というプロセスを経ないと回らなくなることを明確にしています。それと、ここが肝心要ですが、働き方改革の目的である「生産性向上」の語彙を、製造業である私たちはどうも自分たちに都合良く設備投資による「製造力向上」と取り違えている。今回のインタビューで繰り返し話していますが、戦略無き設備投資は各社の製造力ばかり向上し、その結果モノが余り単価下落へ向かってしまう。きちんと出口戦略である売り方を研究したのちの設備投資でなければ。これからは、近隣工場の連携(コネクテッドインダストリーズ)の実現が最適だと考えます。これらの新たな売り方=新サービスの開発を現状の人材で効率的に行う事が出来る働き方、いわゆる一人あたりの儲けを増やすことが生産性向上なのです。間違っても製造力向上とは思わないでください。
 経営者が従業員と一緒に価値を生んでいく時代ですが、一社だけでなく、横の会社や業種違いの会社も連携しないと難しさも大。全印工連のキーワードで言うと「協調領域の最大化」。つまり働き方改革とは、「各社における協調領域の最大化による利益構造の最適化」でもあるのです。

--まとめとして、業界へのメッセージをいただけますか

 そうですね、こんな話はいかがでしょう。
 印刷産業全体は、あたかも斜陽産業のように出荷量は減っている。しかし縮小したとはいえ、5兆円産業は大変大きな産業であり製造業においても国内屈指の産業であることに違いない。では、その5兆円の中であなたの会社のシェアは何%ですか?例えば売上5億円とすればシェアは約0.01%。という事は、更に0.01%シェアを伸ばせば10億円になる――というのはどうでしょう。そして、どうシェアを取りにいくかは、生産能力ではなく、顧客にどれだけ魅力的なサービスを提供できるかにある訳です。これからの時代はモノの作り方よりも先に売り方を知ることが出来れば、この印刷産業の未来は明るいと確信しています。

--本日はありがとうございました。